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| 伏見宮皇統を知る部屋〜伏見宮皇統について〜 |
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21 :日出づる処の名無し :2006/06/25(日) 23:32:51 ID:wVxirh6v伏見宮は、四親王家(徳川家でいう御三家みたいなもの)の一で、代々皇統のスペア的な存在であった。幕末から明治維新にかけて邦家親王の子孫で,伏見宮の継嗣でないものが還俗したため、多くの宮家が設置されることになる。そのため、大正中期から昭和18年にかけては、宮家を継がない次男王は自主的に臣籍降下させる措置もとられている。 一方で、伏見宮系の皇族が果たした役割も多く、特に内閣総理大臣を務めた東久邇宮稔彦王のご活躍は特筆されるべきである。 また、明治22年以前に親王宣下を受けた伏見宮系の各皇族は、その当時の天皇の御養子という身分であり、明治以降におていも東久邇、竹田、朝香の各宮は、明治天皇の皇女を、東久邇若宮は、昭和天皇の皇女をそれぞれ妃としており、内廷とのつながりも深い。
11 :日出づる処の名無し :2006/06/24(土) 21:16:46 ID:XQmxcvIS 臣籍降下は大東亜戦争敗戦後のGHQ占領政策の一環。天皇を含む皇室全体を廃止するか否かを、GHQだけでなく米国本国を巻き込んで大きな議論を巻き起こした。「臣籍降下」は明治憲法にある「臣籍」からくる言い方で、現行憲法上では臣籍が無くなったため「皇室離脱」と呼んでいる。多くの皇族の方々は、これに反対の立場でした。しかし中には敗戦の責任を感じ、早い段階で臣籍降下を表明する皇族もあった。 小学館「語られなかった皇族たちの真実」を参考にして書きました。
14 :日出づる処の名無し :2006/06/24(土) 23:35:11 ID:WuCxZfFJ マッカサー元帥は昭和天皇と会見の後、個人的に好感を抱くには至ったが、GHQの皇室への締め付けは、仮借のない厳しさで行った。皇室財産の封鎖と事実上の没収、皇室予算のGHQの承認制、宮内省職員の削減要求、御内帑(おないど)金(災害等への見舞金)の賜与さえも禁じた。皇室財産には、三十三億四千万円もの財産税(財産税法;時限立法)がかけられたのだ。 昭和天皇は、それでも残った全皇室財産を政府に下付し、賠償に当てようと希望したが、GHQはそれすらも許さず、現行憲法へのGHQ改正案に、「皇室財産は国に属する」という条文を入れさせ、残りの大部分も国庫へ帰属させようとした。これでは皇室に気の毒すぎるという国民の声は非常に高く、衆議院で、この皇室財産に関する条文を削除する合議をしたところ、たちまちGHQの横やりが入り、結局、国庫へ帰属することとなった。GHQは、もし、日本国民が皇室の維持をはかるなら、政治的には天皇の一切の統治機能を廃し、経済的には皇室財産を国に帰属せしむべきと。 三直宮家を含む十四宮家はそのあおりを当然受けた。例えば最も貧乏な三笠宮殿下は、箱根、葉山、品川と転々とし、葉山在住当時は満員電車にもまれて東大へ通ったほどで、ある人が伺候したことろ応接間にまでオムツが張られていて、びっくりしたこともあった。 GHQは、経済的な締め付けで外堀を埋めてから、宮家の数の削減を、日本政府と皇室へ、(事実上)命令した。
26 :日出づる処の名無し :2006/06/26(月) 23:42:43 ID:K/PaWHki 11宮家の皇籍離脱の際の昭和天皇のお言葉 「このたび、皆さんは皇族の籍を離れ、一般の世に出られます。 しかし私としては今までと少しも変わることなく、以前同様に思っています。 皆さんが今後とも、円満にお暮らしになるよう祈ります。」 (昭和22年(1947年)10月18日 赤坂離宮 にて)
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